読み物として随分有名ですが、私も学生時代にこの話を読んで随分参考になったので転載します。
ざっくりいうと、優秀でまじめな国立大生の松下さんがスロットと消費者金融によって滅んでいく体験記なんですが、実体験に基づいたものらしく非常にリアルです。

私も何度か読み返しましたが、借金だったりお金の恐ろしさに毛が逆立つような感覚に襲われます。

残念なことに、オリジナルのブログは消滅してしまったそうですが、後世まで残すべき読み物かと・・・
とても長いですがお金に困っているひと・スロット依存を自覚している方はぜひ読んでみてください。

---

この話は、主人公などの名前以外はすべて”事実”です。

<創刊にあたって>
はじめまして。このメルマガは「借金をしている人」「借金を考えている人」
たちに是非読んでいただきたいです。
というのも、作者である私は「借金によって身を滅ぼした1人」だからです。
この「メルマガ」は「1996年4月」から物語がスタートします。
最終回は「2002年5月」です。
この「7年間」に作者は、「400万円」を超える借金をしました。
そして、最終回いったいどのようなことが起きるのか?
作者である私は今どこからこの「メルマガ」を書いているのか?

すべては最終回「2002年5月」で明らかになります。



<人物紹介>

 名前:松下一樹(仮名)
 生年:1976年生まれ 
 地元:広島
 経歴:中学・高校と学業の成績は常に上位。
部活はバスケット。
大学は仙台の国立大学。
     

<1996年4月>

地元・広島から大学入学のため仙台に出てきた俺・松下一樹(仮名)
大学の入学式も無事終わり、友達も何人かできた。
大学は「某国立大学の経済学部」

アパートは4階建てで、部屋は3階の角部屋。
・家賃:55,000円(共益費込み)/月

最初の1ヶ月は、街と大学に慣れるためにバイトはしなかった。

・親からの仕送り:120,000円/月
 ※ここから家賃を払う。

・奨学金:40,000円/月

この頃はまだ「ポケベル」が全盛である。
(携帯を持ち出すのはまだまだ先)
・ポケベル代:約3,000円


<5月>

GWが終わった頃、バイトを探すために某アルバイト紙を買う。
「まかない」がでるアルバイトが希望だったので、近くの「そば屋」に電話する。
店の人:「ごめんね。もうバイト決まっちゃたんだよね」
またアルバイト紙を見てみる。
すると、アパートから5分くらいの「パチンコ屋」でバイトを募集していた。
私:「すいません。バイトを募集していますか?」
パチンコ屋の人:「じゃあ、今週の土曜日に来てくれる?面接するから」
私:「はい、分かりました」

結局、このパチンコ屋で大学時代の3年半バイトをすることになる。
・バイト代(パチンコ屋):1,000円/時間
 ※月で大体10万円前後になった。


この頃は、大学のバレーボルサークルにも入り、大学生活を楽しんでいた。
しかし、一人暮らしは暇な時間が多い事実にも気づく。

そして、借金の最大の原因である「パチスロ」の世界にはまっていく・・・。


<1996年5月現在>
 ・借入先:0件
 ・借入金:0万円
 ・毎月の支払い:0円



<1996年9月>

下にあるのは9月の私の通帳明細。

      お支払い   お預かり    差引残高
08.09.12         250,000     271,263
08.09.13  50,000             221,263
08.09.14  30,000             191,263
08.09.14  20,000             171,263
08.09.15  40,000             131,263
08.09.16  20,000             111,263
08.09.17  70,000             41,263
08.09.17  25,000             16,263


9月17日の時点で気づく。
「あっ、大学の学費を使ってしまった!!」

9月12日に大学の学費25万円(半年分の学費)を通帳にいれたのだが、
1週間も経たずに残高が2万円を切っている。
しかも、すべてパチスロ(パチンコも少々)で負けていた。

「どうする?」
不安になる。
いや、不安というよりも、先が見えない。
「おれにどうやって25万円もの大金を稼げるんだ?」

学費の銀行引き落としは、9月27日。
リミットはあと「10日」

人生で初めて「お金の工面」をする。
1、パチンコ屋のバイト代が25日に入る。→10万円
2、ゲームやCDなどを売る。→2万円

※25万円-(10万円+2万円)=13万円

あと「13万円」・・・。

頭の中をよぎる、「サラ金」の3文字。
「でも、おれ学生だし。学生は借りられないんだよな」

その時アパートのポストに入っていた1枚のチラシ。

 『学生・主婦・フリーター 50万円まで審査無し』

「学生でも借りれるんだ」
このときは一瞬これを「神様」だと思った。助かったと思った。

しかし、僕は「地獄の入り口」に立っていたのだった。



<1996年9月現在>
 ・借入先:0件
 ・借入金:0万円
 ・毎月の支払い:0円

<1996年9月・PART2>

1996年9月。
大学の学費をパチスロで使ってしまい、途方に暮れる俺。
「13万円」がどうしても今週中に必要だった。
そして、ついにどうしようもなくなり、「借金」という安易な考えにたどりつい
てしまう。

そんなとき、1枚のチラシが目に入る。
 『学生・主婦・フリーター 50万円まで審査無し』

「助かった」と思い電話する。

俺:「すいません、チラシを見たんですが・・・」
男:「(無愛想に)何歳ですか?」
俺:「20歳です」
男:「学生?」
俺:「はい」
男:「いくら借りたいの?」
俺:「できたら15万円くらい・・・」
男:「(かなり無愛想に)今まで消費者金融とかで借りたことある?」
俺:「いえ、1度も無いです」
男:「じゃあ、今から動ける?」
俺:「あっ、はい。大丈夫です」
男:「どこにいるんだっけ?」
俺:「仙台です」
男:「じゃあね、印鑑と健康保険証を持って、今から言うところに行ってくれる?」
俺:「分かりました」
男:「着いたら、もう一回電話ください」

俺:「着きました」
男:「そこに『武富士』さんあるでしょ?」
俺:「はい」
男:「今、こっちでデータを書き換えておいたので、そのまま行ってもらえればお金
   を借りれますので」
俺:「えっ?お金を貸してくれるんじゃないんですか?
男:「いや、違いますよ。借りれる所を紹介するだけですよ」

今考えると、これは「紹介屋」といわれるものだった。
結果的に「30万円」の限度額を勝ち取る(?)ことができた。
そして、その「紹介屋」に「5万円」を振り込んだ。

「ま~、学費も払えたしOKとしよう」
かなり簡単に考えていた。

しかし、「武富士」さんと6年も付き合うとは夢にも思っていなかった・・・。

そして、加速度的に借金は増えていく・・・。


<1996年9月現在>
 ・借入先:1件(武富士)
 ・借入金:20万円
 ・毎月の支払い:15,000円



<1996年10月~1997年1月>

9月につくった「借金20万円」。
毎月4万円ずつ返していくと、4万円×5ヶ月=20万円。
「完済」するのである。

「なんだ、簡単じゃん」

しかし、実際は簡単ではなかった。
10月は、がんばって「4万円」を返済した。
11月は毎月返済額「1万5000円」。
12月も毎月返済額「1万5000円」。

20万円-4万円-1.5万円-1.5万円=13万円。

う~ん、順調だ。しかし、これには続きがある。

13万円+3万円+3万円+1万円=20万円

返済した分(7万円)を、12月にお金に困って借りてしまったのだ。
結局、12月になった時点でスタートに戻ってしまっていた。

「ま~、大丈夫でしょ。12月・1月は大学も冬休みだし、バイトの時間を増や
 そう!!」

本当に12月・1月は働いた。
パチンコ屋にクリスマスも正月も無い。逆に「稼ぎ時」なのである。

12月:200時間(バイト時間)
 1月:150時間(バイト時間)

(200時間+150時間)×1,000円(時給)=35万円(バイト代)

「35万円」は学生としてはかなりの額だ。
にもかかわらず、お金は無かった。
借金も返済できていなかった。

「パチンコ屋」で働いた金を「別のパチンコ屋」に捨てていた・・・。


でも、この時期は楽しかった。
大学の友達とコンパしたりスノーボードに行ったり。

「借金」とは上手く付き合えると思っていた。

しかし、1997年は「人生で最悪の1年」になっていく・・・。


<1997年1月現在>
 ・借入先:1件(武富士)
 ・借入金:20万円(全く減っていない)
 ・毎月の支払い:15,000円






<1997年2月~1997年3月>

この頃は大学のテスト期間中のため、パチンコ屋のバイトがあまりできないでいた。
当然、バイト代もいつもの半分くらい(4万円)しかもらえず、生活費が逼迫し、
家賃も滞納気味だった。

財布の中には、限度額いっぱい使っている「武富士」のカードが1枚入っている。
なんの意味も無いカード。
もはや「返済」の時にしか使わないカード。

「もう1枚カードを作ろう」
「今度は限度額の中でお金を出し入れできるようにしよう」

今考えると、そんな自分への言い訳を何度も考えていたかもしれない。

そして、手に入れた2枚目のカード、「DCキャッシングカード」。

このカードを簡単に説明する。
これは、毎月限度額5万円借りて、借りた分は翌々月1回払いの「キャッシング
サービス」と、毎月1万円支払う「ローンサービス」(限度額10万円)の二つ
のサービスが利用できる。

カードのデザインがちょっとかっこ悪いが、簡単に手に入ったので良かった(助
かった)。

しかし、カードが届いた日、ATMであっさり5万円借りた。
その5万円はパチスロであっさり飲まれた。
いつものパターン。

「支払日は翌々月だから、まっ、いいか」

3月になると、また5万円借りることができた。
そして、またパチスロに投入する。
朝早く起きてパチスロに行くのが、すごく楽しかった。
朝8時に起きられないと思うと、夜寝ないで行ったこともたびたびあった。
でも、そのときは楽しかった。

しかし、負けた日はすごく憂鬱になり、
「もう、パチスロはやめよう」
何万回も思った。紙にも書いた。
でも辞められない。
次の日になると、パチンコ屋に行きたくてしょうがないのである。

「病気」

この「DCカード」が「毎月5万円の返済」という重い障害だった、と気づい
た時、なんとなく将来が見えなくなっていた・・・。


<1997年3月現在>
 ・借入先:2件(武富士,DCカード)
 ・借入金:30万円
 ・毎月の支払い:65,000円



<1997年4月>

4月になり、無事に2年へと進級した私。

大学2年生になり、なにかが変わった?
いや、何も変わってなかった。
借金が「30万円」に膨らんだことと、好きなものが2つ見つかったことぐらいか。

1つ目は、「ビリヤード」。
大学にはほとんど行かず、朝からビリヤード場にいりびたっていた。
ずっと遊んでてもお金をあまり使わないですむので、金の無い自分にはピッタリの遊
びだった。
そして、上手くなるにつれて女の子にモテるような気がしてた。

でも・・・。
もう1つ目がダメだった。

「風俗」

最悪ですね。
「ギャンブル」に「風俗」。
広島から仙台まで来て、いったいなにをしているのか。
親が知ったら泣きますね。
毎月仕送りをして、学費まで払って・・・。
まさかこんなことをしているとは夢にも思ってないはず。

だが、その頃の私の生活は、

「ビリヤード」→「パチスロ」→「パチンコ屋のバイト」→「風俗」

この繰り返し。
「パチスロ」で勝った日は、

「ビリヤード」→「パチスロ」→「パチンコ屋のバイト」→「風俗」→「風俗」

みたいな日もありました。

これで借金を返せるわけがないですね。
返す気が全く無い生活態度です。

でも、「なんとかなるんじゃないかな」
とても安直に考えてた。

『自己破産』『多重債務』『整理屋』・・・
自分には一生関係無い言葉だと思ってました。

そうだ!!
今月もしっかり「DCカード」で5万円借りてます。

結局、「DCカード」は更新が不可になり、カードが使えなくなる日まで毎月借りて
ました。

 60ヶ月(5年)×5万円=300万円

5年間で「300万円」が行き来してたんだな~って思うと、なんとなく感慨深いです。


<1997年4月現在>
 ・借入先:2件(武富士,DCカード)
 ・借入金:30万円
 ・毎月の支払い:65,000円


<1997年5月>

5月は金回りがよかった。
理由は簡単。
パチスロが勝ちまくったのである。
何気なく座った台が大爆発で大勝ち。
負けた日でも、1万円の負け(これは負けにならない?)
この頃の台は、勝つ時は本当に10万クラスの勝ちも結構あった。

この時期、私が打ってたのは、今はなき「大東音響」の台。
(知っている人はすぐ分かりますよね?)
朝から並んで打ってたのは、今思うとこの台くらいです。

3,000円で80,000円の勝ち → 60,000円の返済。
2,000円が70,000円 → 50,000円の返済。

この頃だけですね、1日に2回返済したのは。
20万円あった「武富士」の借り入れが、一瞬だが90,000円になりました。

「いける!!」
「あと9万じゃん。楽勝~!!」

ただここで大きな問題があった。
返済した11万円は、いつでもATMでキャッシングできるのである。
この11万円を、いつでも引き出すことができる「貯金と同じようなもの」と勘違い
してしまうのである。
貯金が無くても、消費者金融の限度額に余裕があると、とても安心した。
逆に、どうがんばってもお金の工面ができないときは、すごく不安になる。
そして、こう思うのである。
「もう1枚、カード作れないかな?」

5月は本当に借金をしないで過ごせた。
しかし、それは「たまたま」パチスロで勝ったからである・・・。


<1997年5月現在>
 ・借入先:2件(武富士,DCカード)
 ・借入金:14万円
 ・毎月の支払い:65,000円


<1997年6月~7月>

みなさんはどうやって、たくさんある消費者金融から借り入れ先を選んでますか?
やっぱり「認知度」がある会社ですか?
毎日テレビでCMをやっていますね、「アコム」「武富士」「アイフル」など。

この頃のわたしは、当然、「金利の高さ」や「取り立ての悪さ」なども詳しくは分
からず、「テレビでCMをやっているところは、安心なんだな」と簡単に考えてい
ました。

「アコム」か「アイフル」だな。

この頃、ついにお金が回らなくなってきた。
食費に加え、服代、遊ぶお金、家賃、それに大学の教科書代が結構厳しかった。
どう考えても、あと5万円が足りない。
「延滞」だけは絶対に嫌だった。
実家に連絡がいくのだけは避けたい・・・。

「よし、もう1社借りよう。限度額を5万円にして、5万円だけ借りよう。あとは
なんとか、バイト代が入るまでがんばればいいし・・・」

借りるなら・・・、思い当たるのは「アコム」か「アイフル」だった。
よし、どっちかだな。

なぜか選択肢は二つしかなかった。
そして、家の近くにある「アイフル」になんとなく決めた。

「たぶん、貸してくれるでしょう」
かなり楽観的に考えていた。

「アイフル」の支店に行く。
「学生」だと貸してくれないので、「フリーター」として契約をした。

アイフル:「おいくら入用ですか?」
わたし :「5万円ほど・・・」
アイフル:「え~とですね、30万円まで限度枠をお作りしますね」
わたし :「あっ、・・・、はい。お願いします」

というわけで、限度額30万円のカードが1枚手に入った。
一応、まだ5万円しか借りていないが、残り25万円を借り切るまで、そんなに時間
はかからなかった。


<1997年7月現在>
 ・借入先:3件(武富士、DCカード、アイフル)
 ・借入金:45万円
 ・毎月の支払い:71,000円




<1997年8月>

大学2年のお盆に実家に帰りました。
1年ぶりの帰郷です。
本当、久しぶりでした。
地元の友達と遊んだり、親の家庭料理を食べたり・・・。
高校時代とは違い、夜に酒を飲みに行って、かなりおそくまで遊びました。
友達も大学に進学したのもいれば、もう社会人になって働いているのもいて、色々
話をして盛り上がりました。

でも、もちろん借金の話はできません。
みんなからは「おまえは俺らの学年でも1番の出世頭なんだから、期待してるよ」
と、言われたら、絶対言えないです。

「おれ、パチスロのやり過ぎで50万近く借金があるんだ」

絶対言えないです。
「借金をしていること」は、今まで築いてきた「自分」を全て否定するものなのです。

親も、久しぶりに帰ってきて少し大人になっている子供を見て、嬉しそうでした。
近所にも「せがれが仙台から帰ってきてね」なんて、言っているのを見たら・・・。

「おれ、パチスロのやり過ぎで50万近く借金があるんだ。だから、少しお金を貸して」
言えないです。

1週間後、何事もなかったように地元・広島から仙台へと旅立ちました。

仙台に着いたその日、実家からダンボール一杯に大量の食料品が届きました。
「とりあえず、これだけあれば食べ物には困らないね」
母親からのメモが一緒に入ってました。

おそらく、人間にはやりなおすきっかけが何回かあるのでしょう。
今回の帰郷はまさしくその一つだったと思います。
でも、わたしはそれに気づかなかった。

「まだ、大丈夫。大丈夫」
なぜか自信だけはありました。

そして、また「ギャンブル」と「借金の生活」が始まりました・・・。
徹夜明けに消費者金融のATMに行って金を借りて、パチンコ店に並ぶ・・・。
負けたら、とりあえず大学に行って友達と飯を食って、バイトして・・・。
最悪の生活です。


ちなみに、先月作った「アイフル」から、地元に帰る旅費として10万円借りています。


<1997年8月現在>
 ・借入先:3件(武富士、DCカード、アイフル)
 ・借入金:55万円
 ・毎月の支払い:81,000円


<1997年9月~1997年10月>

「自転車操業」。
借りて返す日々。

この時期、毎月の支払いが9万円近くになっていた。
かなり厳しい。
理由は、「DCカード」の『1回キャッシング』。
毎月の借入限度額が5万円で、翌々10日に全額返済する。
たとえば、6月に5万円を借りると、7月にはもう5万円借りられる。
そして、8月10日に、6月分の返済額・5万円を返すと、8月15日にはもう
5万円借りることができる。

5年近く、この繰り返しだった。
この「自転車操業」が終わるとしたら、次の二つしかないと思ってた。

(1)どこかの時期で「DCカード」から借りるのをストップする。
(2)返済が滞り、カードが止められる。

結局、私は(2)でした。

武富士などの消費者金融と比べて、信販系の場合、催促(さいそく)が少し遅い。
例えば、期日に返済できない場合、その10日後くらいに催促の「はがき」が来る。
そして、時を同じくして電話もかかってきます。

それが、消費者金融の場合、1日でも遅れるとすぐに電話がかかってきます。
「どうなってるの?」
「返済日ですよ!!もしかして、返さないつもり?」
ってな感じです。
胃が痛い。

さらにもっと大きな問題は、「この返済が遅れたという情報が消費者金融全体に広まる」
ということです。
最悪、武富士で返済が遅れたにもかかわらず、アイフルから借りることができなくなる
ことがあります。(アイフルにはきちんと返済していても)
そして、また別の消費者金融から借りる場合も、この「返済遅れ」が原因でカードが作れ
ないことがあるのです。

びっくりしますよ。
某消費支社金融の無人契約機でカードを作ろうとした時、

声:「今まで、延滞が遅れたことはありませんか?」
私:「(本当はあるのに)はい、ありません」
  <数分後>
声:「申し訳ございません。松下様、こちらでお調べしたところ、1度お支払いが延滞
   したことがあると記録されているのですが?」
私:「(とぼけて)あっ、そうだ。すいません、1度ありました」
声:「もうしばらくお待ちください」
  <さらに数分後>
無人機の画面に『申し訳ございませんが、今回は見遅らさせていただきます』の文字。

情報は流れてますよ。

すべて順調に返済がいってればいいけど、どこかでつまずくと一気に崩れます。
今までいくらでもお金を貸していた所が、一瞬で貸すのをやめ回収に動き出します。
そして、その時期「自転車操業」に陥っていると、100%OUTです。

仕事も手につかなくなります。
「合法的な犯罪」とか、「ブラックの方でも必ず融資!!」に目がいきます。

私が言うのもなんですが、こうなったら、もう一般社会人としてダメですね。


ここで一句。

「今思う お金は自分で 稼ぐもの」


<1997年10月現在>
 ・借入先:3件(武富士、DCカード、アイフル)
 ・借入金:60万円
 ・毎月の支払い:81,000円


<1997年11月>

よく私は悩んでいた。
「なんでだろう?」
「なんでお金が無いんだ?」

この当時の私の1ヶ月の生活費はこんな感じだった。

・親からの仕送り:10万円
・日本育英会の奨学金:5万円
・パチンコ屋でのバイト代:約10万円

合計:25万円。

「どうして、毎月25万円のお金があって、借金をしなければいけないの?」

普通に考えて、毎月の家賃が5.5万円。食費が6万円、遊興費を5万円としても、
合計17万円前後だ。

「あれ?ってことは、毎月8万円くらい貯金できるじゃん?」
それが、毎月5万円くらい借金が増えているのだから、いったいどんな生活だった
のか・・・。

大学4年間、毎月8万円貯金をすれば、卒業時には400万円近くの貯金があった
はず。
しかし、逆に私は卒業時に300万円近い借金を作っていた。

この差はいったいなんなんだ?
答えは簡単。

「ギャンブル」

もし、今、私が大学1年生に戻れたら絶対「パチンコ・パチスロ」はやらない!!
絶対やらない!!
100%やらない・・・。

でも、おそらくやるのである。
そんな簡単にギャンブルから手を引くことができたら、借金を400万円も作らない。

「ギャンブル中毒」

この言葉だけだとピンとこないが、次の項目に当てはまったら「ギャンブル中毒」の
可能性があります。

1、ギャンブルの後、強い自責の念にかられたことがる。
2、オケラ(全くお金が無くなる)までギャンブルをしないと家に帰れない。
3、ギャンブルのために、物を売ったことがある。
4、ギャンブルの為に、会社・学校をさぼったことがる。
5、ギャンブル資金を借りたことがある。

さあ、どうですか?
ちなみに、私は全て当てはまってました。

私は「重度のギャンブル中毒」です。


<1997年11月現在>
 ・借入先:3件(武富士、DCカード、アイフル)
 ・借入金:65万円
 ・毎月の支払い:81,000円

<1997年12月>

「金銭感覚」が麻痺してませんか?

わたしはコンビニに行ってもあまりモノは買わない。
おそらく2,000円も使うと、「ちょっと買いすぎたかな?」と少し後悔する。
家にいても、できるだけ電気は使わないようにコンセントをこまめに抜く。

なのに、なぜギャンブルをする?
「1万円」をパチンコで使うのは簡単だが、「1万円」を体を使って稼ぐのは大変
なことだ。

この頃、借金の支払いが近くなる月末には、よく日払いのアルバイトをしていた。
「引越しの手伝い」「線路の枕木(まくらぎ)直し」「工場の清掃」「工事現場の
手伝い」など。
1日8時間くらい働いても、6,000円くらいにしかならない。
2日働いても「12,000円」。
それをパチンコでわずか30分くらいで使ってしまう。

「金銭感覚」が麻痺してませんか?


1度落ち着いて自分の状況を考えてみましょう。

○現在の所持金は?
○次の給料日まであと何日ある?
○家賃や水道代・電気代・カードの支払いは大丈夫?

さあ、どうですか?
この段階で全くお金が無い人は危険です。
当然、生活費(食費を含む)も必要ですね。

「まあ、お金が無くてもなんとかなるでしょう」と思わないでください。
そういう人はあと数ヶ月で身動きができなくなります。

1度、サラ金からお金を借りずにがんばってみましょう。
1日1,000円あれば生きていくには十分なはずです。

借金が無い生活を考えてみてください。
楽しいと思いませんか?
支払日に苦しまなくてもいい生活。

「本当に胃が痛い」「眠れない」・・・。

この頃のわたしは「なんとかなる」と、とても楽観的に考えていた。
今思うと、この時期に一度でも我慢をしていれば、人生は変わっていたはず。


<後悔しても遅い>

<人生は後戻りできない>


そして、1997年12月末。
あの「消費者金融」と契約するのである。


<1997年12月現在>
 ・借入先:3件(武富士、DCカード、アイフル)
 ・借入金:65万円
 ・毎月の支払い:81,000円



<1997年12月 PART2>

「♪♪ラララ、無人く~ん、ラララ、無人く~ん、ララララ♪♪」

そうです。
1997年12月某日、ついに「アコム」と契約しました。

この頃は、「なぜ借金をするの?」と聞かれたら、「お金が無いから」と簡単に
即答したでしょう。

それにしても、あまりにも簡単にカードが作れちゃう。
無人機の前に座って、申し込み用紙に名前や住所、家族構成などを書く。
それを無人機が回収してしばらく待つ。
待ち時間は各消費者金融によって長短ありますね。

以前、「アエル」という消費者金融の無人契約機に行ったとき、『ご意見を書い
てください』というノートが設置してありました。
契約書に記入し終わってから、審査結果を待っている間にそのノート読んでみる
と、同じようなメッセージが・・・。

「審査時間が長い!!いったい何時間待たせるんだ!!」
「1時間待たせて、『今回は見送りさせていただきます』は無いだろ!!」

「まじで?1時間も待つの?」と、不安になる私。
結果、本当に1時間くらい待って、審査はNGでした。

それに比べてアコムは早かった。
やはり会社の規模の問題なのかな?

結局、限度額20万円のカードを作ることができました。
無人機からカードが「ニュ~」って出てきた時、本当に嬉しかった。
なんか「勝負に勝った!!」って感じ。
でも、本当は着実に「人生の敗者」の道を進んでるんだけど・・・。

でも、その時は、これで正月を楽しく過ごせるとすごく安心しました。


生きている中で「お金」さえあれば、最低限の幸せは感じることができると思い
ます。
逆に、財布の中に現金が無いと、すごく不安になります。
どこに行くにしても、何かをするにしても「お金」が無いと何もできません。
そのために借金をしてでも現金はあったほうがいいのか?


もうすぐ、私は「借金地獄」という泥沼に落ちていきます。


<1997年12月現在>
 ・借入先:4件(武富士、DCカード、アイフル、アコム)
 ・借入金:75万円
 ・毎月の支払い:91,000円



<1998年1月>

1月1日。
今年は実家に帰らずに、一人で正月を迎えた。
深夜、近くの神社へお参りに行く。

「今年は、ギャンブルで勝ちますように」

そのまま朝まで起きて、いつものようにパチンコ屋に行く。
そういえば、昨日の12月31日もパチンコ屋に行っていたな。

バイト先(パチンコ屋)の店長と、仕事が終わった後よく飲みに行った。
色々と話をした。
女のこととか、学校のこととか、友達のこととか、将来のこととか・・・。
でも、「借金」のことだけは話せなかった。
「借金」のことを話すと、自分の全てを見られるようで怖かった。
親しい人に「おまえは借金をしている情けない男」と見られるのが嫌だった。
今までと同じ付き合いができなくなるんじゃないか。

「国立大学に通い、将来は一流企業に就職する男」
自分で勝手に貼った「レッテル」をはがすのが怖かった。
「国立大学生」という看板をとったら、何も残らない俺・・・。
本当は「借金まみれのギャンブル中毒」なのに・・・。

今思うと、このギャップに自分で苦しんでいたのだろうか?

自分を周りの人に解放することができれば、もっと早い段階で対処法が見つ
かったかもしれない。

1998年。
1月1日から「パチンコ・パチスロ収支報告書」なるものを作った。
いつ、どこで、なんの台に、いくら投資して、いくら勝った(負けた)かを
記入することにより、お金の流れを把握しようと考えた。

<パチンコ・パチスロ収支報告書>
日付   投資   回収
1月1日 35,000円   0円
1月2日 20,000円   0円
1月3日 22,000円   0円
1月4日 13,000円   0円
1月5日 20,000円   0円

ここで、この報告書は終わっている。
5日間で「11万円」も負けたら、どうでもよくなる。

これで、「アコム」も限度額いっぱい借りたし、また次のカードを作らないと
いけないな。

「今度も無事、カードが作れますように」

<1997年12月現在>
 ・借入先:4件(武富士、DCカード、アイフル、アコム)
 ・借入金:85万円
 ・毎月の支払い:96,000円



<1998年2月>

調子がいい。
全てがうまくいく。
大学の試験も順調で、予想通りに「単位」が取れた。

ギャンブルの調子もいい。
1月の不調が嘘のように勝ちまくる。
負けたときでも、1万円の負けで終わる。(こんなのは負けの内に入らない)
2月が終わった時点で、2月の借金の支払いをして、さらに10万円近く残っ
ていた。
そこに、パチンコ店でのバイト代が10万円近く入る。

「金持ちじゃん!!」

でも、本当は金持ちではない。
借金の総額が「80万円」あるのだから、有り金全てを返済にまわしても、
まだ借金は残る。

ここで「よし、返済にまわそう!!」とは全く思わなかった。
現金で「20万円」持っていれば、なんでもできると思った。

「就職活動も始まるし、パソコンを買おう」
10万円くらいで買えないかな?
電気屋に見に行くと、欲しいと思ったパソコンが15万円近くした。
「ま~、1回買えば5年くらいは使うだろう」
(今考えると、本当にパソコンが必要だったのか・・・)

「でも、現金で買ったら、5万円しか残らないし・・・」
ローンで買えないかな?
大学の生協で実施していた「JCBの学生カード・即日発行」に申し込んでみる。
なぜかすんなり通った。
(信販系とサラ金系の情報機関が違うため、信販系のほうだとまだ私は<キレイ>
だった)
しかも、「5万円のキャッシング枠」付き!!

この「JCB」のカードで15万円のパソコンを買った。
毎月、1万円の支払い。
1万円の支払いなんて、痛くもかゆくも無かった。
(このあたりが既に金銭感覚が麻痺していたのか・・・)

実際に私を苦しめたのは「5万円のキャッシング枠」の方だった。
これは「DCカード」と一緒で『翌々月に一括返済』
そのため、最悪「5万円」の返済が回ってきた。
「DCカード」と「JCB」を限度一杯の5万円をそれぞれ借りていると、
「10万円」の支払いになる。

そして、3月。
勝つ時があれば、負ける時もある。
手元にあった20万円はあっという間になくなった・・・。


そして遂に、月額の支払いが「10万円」を超えた。


<1998年2月現在>
 ・借入先:5件(武富士、DCカード、アイフル、アコム、JCB)
 ・借入金:95万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:106,000円


<1998年3月>

月末の支払いが逼迫(ひっぱく)してきた。
毎月月末に3件の支払いがある。

1、武富士・・・15,000円
2、アイフル・・16,000円
3、アコム・・・15,000円     合計:46,000円。

近くの駅前には、消費者金融が集中して入っているビルがあった。
まず、1階の「アコム」で15,000円を返済する。
すると、借入可能額が「10,000円」くらいできるため、そこで限度額いっぱ
い借りる。
そのお金と手元にあるお金を足して2階の「武富士」へ。
そこでも同じように15,000円を返済して、限度額いっぱい借りる。
(ここでも10,000円くらい借りれる)
そして、3階に行って「アイフル」を返済して、また限度額いっぱい借りる。

すると、返済を3件終えて手元に「10,000円」くらい残るのだ。
これを軍資金にパチスロへと向かうのである。

もう既に「自転車操業」の兆しが見えてきていた。

これを繰り返している限り「元金」は全く減らない。
しかも、返済をしたその場で限度額いっぱい借りるのだから、消費者金融にとっては
「好ましくない客」→「かなりヤバイ客」に見られていたのではないか?

※「DCカード・キャッシング」の支払い「50,000円」は月始めのため、パチ
ンコ屋のバイト代でなんとか返済ができていた。

ここで問題なのは、「生活費」という概念が全く存在しなくなっているということ。
手元にあるお金で飯を食い、お金がなければ飯も食べれず・・・。
まとまって入ってくるお金はギャンブル代と借金の返済に消える。

ギャンブル代が無くなったため先月作った「JCBカード」のキャッシングで
「50,000円」を借りた。

「これは翌々月の一括返済なのに、大丈夫なの?」
「なんとかなるでしょう。1回でもパチスロで勝てば10万円くらいすぐにできるって」

とても楽観的。
だが、結果は最悪な事態を招くのだが、この頃はまだ「一発逆転」でなんとかなると思
っていた。


まさか自分が借金で苦しむなんて夢にも思っていなかった。
おそらく犯罪を犯す人も、まさか自分が犯罪を犯して牢屋に入るとは夢にも思わないで
しょう。


<1998年3月現在>
 ・借入先:5件(武富士、DCカード、アイフル、アコム、JCB)
 ・借入金:100万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:156,000円



<1998年4月>

家の中のものがどんどん無くなっていく・・・。
CD、ゲーム、マンガ本、ビデオ、CDウォークマン・・・。

パチスロをやるお金を作るために、CDやマンガ本などを売った。
CDは、最近発売されたものは1,500円くらいで買ってくれるが、古いCDは
200円や100円でしか買いとってくれない。
マンガ本なんかはもっとシビアで、1冊10円や20円の世界だ。

以前に、新聞を読んでたら「あなたの持つエロビデオを高価買取!!」という広告
があった。
もちろん家にあったエロビデオを全て持っていく。
全部で40本近くあった。
予想では、1本200円×40本=8,000円くらいはいけるのかな?と思い、
電車でその店まで持っていった。
40本のエロビデオはかなり重かった。
しかも、「途中で警察に職務質問なんかされたらどうしよう?」と心配しながら
行ったので、かなり疲れた。

店の人に持っていったビデオを見てもらうこと数分。
店員からの驚くべき一言。
 店員:「350円ですね」
 私 :「はい?」
私は一瞬意味がわからなかったので、聞きなおす。
 私 :「1本350円ですか?」
 店員:「全部で350円ですよ」
 私 :「本当ですか?」
 店員:「中古のビデオは売れないんだよね」

ここまでの電車賃にもなりやしない・・・。
もう一度、この40本のエロビデオ(約20キロ)を持って帰る気力も無いし。

 私 :「350円でいいです・・・」


大学3年にもなって、おれはいったい何をしているんだろう・・・。
人生を無駄に過ごしているな・・・。
そういえば、私服もここ最近買ってないし・・・。

なにかが普通の大学生と違う。
時間の過ごし方が明らかに違う。

間違っているな。

この頃、自分の異常性に少し気づき始めるが、時間があればパチンコ屋へと向かう。
お金が無いのに行く。
1,000円しかないのにパチンコ屋に行く。

ああああああああああああああああああ。

25日の借金の返済日が近づく。
でも、お金が無い・・・。

あああああああああああああああああああああ。

どうしよう・・・。
本当にどうしよう・・・。

誰にも相談できない。


<1998年4月現在>
 ・借入先:5件(武富士、DCカード、アイフル、アコム、JCB)
 ・借入金:100万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:156,000円



<1998年5月>

「借り換え」は大変有効な手段だと思う。
金利の高い消費者金融から、金利の安い銀行系へ借り換えることによって、生活
の安定が図られるなら、是非やるべきだ。

でも、私は「借り換え」によって借金が増えていった・・・。

お金が無い。
いつものことだ。
もはや借金をすることに負い目を感じない。

「DCカード」と「JCB」、併せて毎月10万円の支払いが最大の問題だった。

「DCカードとJCBを全部返済したい」
 ↓ ↓ ↓
「毎月の支払いが少ない金融会社から借金をしよう」

そんな賢い(?)選択から私が選んだのは「オリックス倶楽部」。
ここは、50万円までの借り入れだと支払いが1万円ですむ。

「うまく借りられれば、毎月の返済が15万円から6万円くらいになるな」

インターネットで申し込むとすぐに電話がかかってきた。

オリ:「ありがとうございます。今回のご利用目的はなんですか?」
私 :「借金の一本化です」
オリ:「今、借金はおいくらありますか?」
私 :「100万円くらいです」
オリ:「それでは、借り入れ先と金額を教えてください」
私 :「武富士が30万円、アコムが20万円、アイフルが30万円、あと、DC
    カードとJCBからも借りてます」
オリ:「そうですか。ちょっとお待ちください」

(待つこと数分)

オリ:「え~とですね、今のままだとちょっと難しいですね」
私 :「どうすればいいですか?」
オリ:「どこか金額の少ないところを返済して、借入の件数を減らしませんか?」
私 :「それができたらとっくの昔にやっています」
オリ:「う~ん・・・・」
私 :「オリックスさんから借りたお金は全部返済に回して、一本化したいんです
    よ!本当にお願いします!!」
オリ:「ちょっとお待ちください」

(またまた数分待つ」

オリ:「では、30万円お貸ししますので、武富士さんを完済してもらえますか?」
私 :「わかりました。すぐ完済してきます」
オリ:「では、完済しましたら、『完済証明書』を弊社まで送ってください」
私 :「すぐ送ります」

そして、「オリックス」から30万円が振り込まれた。
そのお金で「武富士」を完済する。
でも、結局30万円全部を返済に使ったので、ほとんど手元には残らなかった。

しかし、私の知らないところで大きな変化が起きていたのだ。

それはJDBなどの信用情報機関に新しく記された情報。

 『松下一樹 「武富士」完済』というデータ。

これが私の評価をガラリと変えてしまったのだった・・・。


<1998年5月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:100万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:151,000円



<1998年6月>

先月、「武富士」を完済して解約した私。
※「オリックス」から30万円借りて返済したので、借金総額は全く変わってい
 ないんですが・・・。

ここで、現在の借金の状態をお知らせします。

借り入れ先     借入額    限度額
アイフル     250,000円   300,000円
アコム      200,000円   200,000円
オリックス    300,000円   300,000円 
JCB       50,000円    50,000円
(キャッシング)
DCカード     50,000円    50,000円
(キャッシング)
JCB      150,000円
(ローン)
 <合計>   1,000,000円

 ※「JCB」と「DCカード」のキャッシングは、毎月5万円まで借りられて、
  翌々月一括返済。

「アイフル」以外は限度額いっぱい借りている。
本当に情けない・・・。

でも、病気は簡単には治らない。

朝起きる。
時計を見る、「8:42」
床に転がっているジーンズをはき、干してあるTシャツを着る。
ぼさぼさ頭に帽子をかぶり、自転車に乗る。
行き先は「アイフル」へ。

あといくら借りられるかは常に把握している。
ATMにカードを入れる。
すると、今まで見たことの無い文字がでてきた。

《増額申込み》

なんだ?
でも、今はそれどころではない。
パチンコ屋の開店時間(9時)まであと数分しかない。
とりあえず、限度額いっぱいの「5万円」を借りる。

<3時間後>

「おけら」になる:(意味)まったくお金がなくなること。

パチンコ屋を出る。
ちょうど昼時なのか、サラリーマンやOLがたくさん歩いている。
おれのポケットには小銭と限度額いっぱい借りたサラ金のカードしかなかった。

「帰ろう・・・」

自転車に乗って少し行くと、さっきの「アイフル」で見た文字を思い出した。

《増額申込み》って、なんとなくいい感じがするんだけど・・・。

急いで「アイフル」へと向かう。
ATMにカードを入れると、やはり《増額申込み》の文字が出てきた。
とりあえず押してみる。

《いつもありがとうございます。お客様は増額の申込が可能です。
 現在の限度額30万円から50万円に増額することができますが、いかがいたし
 ましょうか?》

私にとって全くの愚問である。
当然申し込む。

「ありがとうございます。限度額が50万円となりました。毎月の返済金額も変更
 になりますので、ご確認ください」

まじで?本当に50万円まで借りられるの?
不思議に思いながら、興奮している自分。
《借入》のボタンを押すと、確かに借入可能金額「20万円」という文字。

じゃあ、「10万円」借りられるの?
《借入金額:10万円》とボタンを押す・・・。

「10万円」登場!!

借りれた!!!!

やった!!!!

意味がわからないけど、現金が10万円!!!!

すごく嬉しかった。
なぜかガッツポーズが出る。

その足でさっき「5万円」負けたパチンコ屋へとリベンジ!!
閉店までいて、さらに「6万円」の負け。
でも、まだ現金で「4万円」あるし、「アイフル」でも借りられる。

「よし、明日も朝からやってやる!!」

でも、なんで「アイフル」で増額できたのか、この頃は全くわからなかった・・・。


<1998年6月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:111万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:159,000円

<1998年7月>

現在、大学3年生の私。
入学してからずっと続けているパチンコ屋のバイトも既に3年目を迎えていた。
バイト先では正社員を使わない方針のため、あれよあれよとバイトの中で一番の
古株になっていた。

大学生になったらどうしてもやろうと思っていたこと・・・。
それは「塾の講師」。

でも、生活の為にパチンコ屋のバイトを辞めることはできない。
そこで、1週間に2・3日の出勤でいい塾を探してバイトを始めた。

塾の先生の仕事は本当におもしろかった。
子供たちとは勉強以外の話もしたし、本を貸してあげたりもした。
塾には、他の大学から来るバイトもいたし、バイト終わりで飲みに行くことも
あった。

ただ、大きな問題があった。
バイト代が安いということ。
時給は「1,800円」と高いのだが、1日で働ける時間が長くて3時間。
ローテーションの問題で、短い時は1時間しかないときもあった。

塾のバイトに行くと、当然パチンコ屋のバイトは減る。
結果的に、バイトの収入が7万円くらいになってしまった。
(今までは、10万円前後はあったのに)

前月までは、パチンコ屋のバイト代で毎月の借金の返済が全部できていたのだが、
今はどうしても「JCB」か「DCカード」のキャッシング分(各5万円)が足り
ない・・・。

延滞だけはしないように、なんとかしないと・・・。

でも、「JCB」の返済が滞り始める・・・。

最初はすごくドキドキした。
実家の親に電話がいくんじゃないかと。
「あなたのご子息が借りたお金を返さないんですが」
「代わりにお金を返してもらえませんか?」

でも、実際、親に電話がいくということはなかった。
10日くらいすると「JCB」から手紙がくる。
『返済日が過ぎています。ここに振り込んでください』という内容。

「なんだ。返済がちょっと遅れても大丈夫じゃん!!」

この考えが後にとんでもないことを引き起こした・・・。

※ちなみに、先月限度枠が50万円になった「アイフル」からしっかり10万円を
 借りています(原因はいつものとおりパチスロです)
 借入額は限度いっぱいの50万円になりました。


<1998年6月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:120万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:159,000円


<1998年8月>

今月も金が無い。
金が無いことに慣れてしまっている。

でも、パチスロをやるお金はなぜかできる・・・、不思議だ。
CDや本を売ってでも金をつくる。
1万円あればパチンコ屋に行く。
そして負ける。
まさしく「病気」、「ギャンブル中毒」。

部屋の中は、広島から仙台に出てきた時とあまり変わっていない。
テレビ、ビデオ、ベッド、パソコン(これだけ増えた)・・・。
この3年間なにをしてきたのか・・・。

この頃、わざと遠くのパチンコ屋に行くようになっていた。
(理由は無い)
まず、テレビゲームをして徹夜をする。
そして、朝7時頃に家を出て2時間かけてパチンコ屋に向かう。
自転車で行くこともあれば、電車で行くこともあった。
ポケットには、小さい地図と1万円の入った財布だけ。

できる限りお客さんのいないパチンコ屋に入る。
(理由は無い)
人と接するのが面倒くさい・・・。

8月のある日、ふと思う。
「アコムって、限度額いっぱい借りていたかな?」
本当は知っているのに、知らないふりをする。
「アコムの機械が壊れて、借金が0にならないかな?」
そんなことがあるわけがない。

「?」
アコムのATMにカードを入れてみると、前に見たことのある文字が出てきた。

《増額申込み》

「おっ!!」
胸が踊った。
急に緊張してくる。
無我夢中で《増額申込み》のボタンを押す。

《いつもありがとうございます。お客様は増額の申込が可能です。
 現在の限度額20万円から50万円に増額することができますが、いかがいたし
 ましょうか?》

愚問!!!!
もちろん「はい」である。

1分後、「10万円」を引き出した。

なんて簡単なんだろう。
現金で10万円を持つと、なんでもできるように感じ、パチンコ屋に行くことが、
とても馬鹿らしく思えてしまう。
といって、パチスロ以外に時間をつぶす術(すべ)を知らない。
自動販売機で缶コーヒーを買って、パチンコ屋に消える。

この頃、パチスロを打っていても退屈に感じてしまう。
朝9時から夜の11時まで、14時間打ちっぱなし。
これを毎日続けているのだから当然だ。

20~22歳のほぼ半分をパチスロに費やし、借金を増やしていった・・・。


「大学生活って、もっと楽しくて素敵なものだと思ってた」


8月、大学では就職活動が始まっている。

「おれも就職できるのかな?」

なんかどうでもよかった・・・。


<1998年8月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:129万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:162,000円



<1998年9月>

大学では就職活動が始まっていた。
大学のOBに電話したり、パソコンで会社の情報を調べたり、就職課に行って
相談したり・・・。

「まだいいや・・・」

おれはすごく他人事のように感じていた。
とても就職活動に神経をそそぐ気にはならない。

それはそうだ。
毎月16万もの返済があれば、どんな人間でも不安になるというものだ。
手にするバイト代・仕送りは全て借金の返済へと消えていった。
それでも元金は全く減らない。
「返しては借りる」。
この繰り返しなのだ。

そして、それは突然やってきた。
いつものように「JCB」の返済が1週間遅れて、銀行引き落としではなく、
銀行振込で5万円を返済した。
そして、また「JCB」で5万円を借りようとした時、この文字が出てきた。

「このカードはお使いになれません」

なんだ?
今までも返済が遅れたときは、再度の借入がすこしの期間できないことがあった。
しかし、今回は違う。
2週間たっても、まったくカードが使えないのだ。

「なんで?」

少し不安になり、カードの裏に書かれてある電話番号に問い合わせてみた。

 私 :「すいません。カードがつかえなくなったんだけど」
JCB:「番号と名前を教えてください」
 私 :「○○△△。松下一樹です」
JCB:「少々お待ちください。え~とですね、お客さん、今まで返済が送れてい
     ますよね?」
 私 :「いや、きちんと返済しましたよ」
JCB:「でも、返済が何度か遅れてましたよね?」
 私 :「あっ、はい・・・。そうなると、もうカードは使えないんですか?」
JCB:「お客さんの場合、返済の遅れが何度もありますので、そうなりますね」
 私 :「・・・・・(絶句)」
JCB:「よろしければ、今お持ちのJCBのカードを返却していただきたいんで
     すが」 
 私 :「・・・、分かりました」

その後、JCBの係の人がカードの送り先の住所を電話の向こうで言っていた。
だが、全く聞いていない。
いや、聞こえていなかった。


「まじで?」

それは、まさしく自分の価値が一つ下がったことを意味していた。
世間に「ダメ」の烙印を押された気分。
そして、すごく不安になった。

もしかして、間違ったんじゃないか?
今まで通り、JCBのカードをATMに入れると「5万円」を借りられるんじゃな
いか?

しかし、その淡い期待も簡単に崩れ去った。
街角にあるキャッシュカード専用のATMにJCBのカードを入れた瞬間、シューと
いう音とともにATMに吸い込まれていった。
そして、そのカードは2度と戻ってこなかった・・・。

ATMに出た文字。
「このカードはご使用になれませんので、こちらで破棄いたします」

ああああああああああああああ。

JCBから5万円を借りられないことで、「返済パターン」が崩れた。

仕方が無い、「アコム」で借りて返済しよう。

「借金の返済のために借金をする」

きれいな「借金スパイラル」に陥っている・・・。

就職活動のスーツも買わないといけないのに。
お金が無い・・・・。


<1998年9月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:133万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:164,000円


<1998年10月>

1998年。
「就職氷河期」。いや、「就職”超”氷河期」

希望する企業に入社することは至難の技といわれていた。
数百社に資料請求をして、返事が返ってきたところにまた連絡をする。
何百枚の履歴書を書いて、面接の練習をして・・・。
大学の同級生たちはそんな普通の活動をしていた。

その頃、わたしは当然のようにパチスロをしていた。
ヒゲもそらず、帽子をかぶり、行く途中で缶コーヒーを買って・・・。

「おいおい。それでいいのか?」
とは、全く思わなかった。

「なんとかなる」
人生を簡単に考えていた。

「とりあえず、スーツを買わないと」
なんとなく思った。
でも、金が無い。

親に電話しよう。
スーツ代ならもらえるかな?

私の親は決してケチではない。
子供を広島から仙台の大学に入学させて、仕送りもしっかり送っている。
親のボーナスの時には、いつもより多めに仕送りが振り込まれる。

そんな、父親の口癖は、
「借金だけは絶対するな」

いったいどこから自分の歯車が狂ったのか。
そんなこと今考えてもしょうがない・・・。

父親に電話をすると、スーツ代と靴代、かばん代として10万円がすぐに次の日、
私の通帳に振り込まれた。

振り込まれた日、その10万円をパチスロで使ってしまう自分がいた。

親不孝。
親不孝。
親不孝。

実家は決して金持ちではない。
母親は缶詰工場のパートで働いている。

「どうしよう。スーツを買う金がない・・・」

3日後、もう一着スーツを買うと言って父親にお金を無心した。

「いいか。2着目のスーツは1着目と色違いを買えよ。交互に着れば、長持ちす
 るからな。」
父親の言葉が心に痛かった。

しかし、その2着目のスーツ代・4万円もパチスロに消えていった・・・。

なんで?
なんでそうなるの?
なんで普通の生活ができないの?


この頃、死ぬのが怖かった。
もし交通事故で死んだら、ちょうど葬式が終った頃に消費者金融から電話がくる
んだろうな。

「アイフルですけど、お宅の息子さん50万円の借入れがあるんですが・・・」
「アコムですけど、お宅の息子さん35万円の借入れがあるんですが・・・」
「オリックスですけど、お宅の息子さん30万円の借入れがあるんですが・・・」
「DCカードですけど・・・」

絶対死ねない。


<1998年9月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:127万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:164,000円


<1998年11月>

バイト先のパチンコ屋に一人の新人が入った。
外見は少し暗そうな男で、特にこれと言って特徴は無かった。
 ※名前を「タケ」(仮名)としておく
口数も少なく、バイトが終っても一緒にどこかに飯を食べに行くということもない。

それが、バイト中に突然話し掛けてきた。
タケ:「よかったら、今度飲みにいきません?」
 私:「(気軽に)いいよ。いつにする?」
タケ:「今度いつお休みですか?」
 私:「木曜が休みだけど。別に休みじゃなくても、バイト終ってから飲みにいけ
   ばいいんじゃない?」
タケ:「いえ。休みのほうがいいんです。ちょっと相談したいことがあって・・・」
 私:「いいよ。じゃあ、木曜ね」

そして、木曜日、待ち合わせの場所に行くと、車が1台止まっていた。
その車の窓が開いて、タケが手を振っている。
タケ:「すいません。どうぞ乗ってください」
 私:「おう、分かった。・・・、あっ!!」
車の中に入るとタケの他にもう一人乗っていた。
タケ:「こちらは先輩です」
 男:「どうもはじめまして。タケがバイト先でいつもお世話になってます」
その男は丸坊主で、どこか怪しい感じがした。 ※名前を「テツ」(仮名)とする

そして三人を乗せた車は動き出した。
どこに向かっているのか全くわからない。
飲み屋街からもどんどん遠ざかっていく。

 私:「(少し不安になって)どこにいくんですか?」
テツ:「大丈夫です、まかしてください」
 私:「(まかせられるか? なんかやばいんじゃない)」

そして、車はあるビルの前で止まった。
周りには民家があるだけで、飲み屋らしきものは見えない。

 私:「ここですか?」
テツ:「(ニヤリと笑いながら)飲みに行くと思った?」
 私:「飲みに行こうって誘われましたから」
テツ:「まあ、正直違うんだよね。いきなりだけど、『宗教』に興味ある?」
 私:「はぁ?」
テツ:「ぼくたちね、○○っていうのを広める活動をしてるんだけど、これはね・・」

この瞬間、「やられた」と思った。
最初から飲みに行く気は全く無く、この○○という宗教におれを勧誘する気だったのだ。

テツ:「ねえ、聞いてる?」
 私:「帰ります」
テツ:「まあまあ、話だけでも聞いてよ」
 私:「(ちょっとキレて)ああ!!おまえ何言ってるの??なあ、おい。帰るからな」
テツ:「(冷静に)いいけど、また今度家に行くよ。住所も知ってるし、バイト先も知っ
    てるし」
 私:「なあ、それって脅してるの?おい、タケ君。なんか言ってよ。バイト先の先輩を
    こういう所に誘っていいと思ってるの?なあ、おい!!」
テツ:「(ここで初めてキレる)おい!!!おまえ、今なんって言った!!なんも知らな
    いで、○○をこういう所って言ったろ!!おい、おい、おい!!」

この後、この車の中で3時間ほど押し問答が繰り広げられた。
「○○という宗教のすばらしいこと」「○○に入ると将来が予知できること」など。

さすがに3時間もすると、少し頭がくらくるしてくる。
(この車が止まっているビルの一室でセミナーが開かれていて、そこにおれをどうしても
 連れていきたいらしい)

警察の事情聴取もこんな感じなのかな?
何十時間も警察に取り調べを受けていると、本当は犯罪を犯してなくても、
「やりました」
って言っちゃう気持ちがよく分かる。

最終的に、開放されたのが7時間後。
テツが最後に言った言葉は「おまえ、根性あるな。がんばれよ」だった。

生まれて初めての「軟禁」。
車の中だから、逃げよう思えば逃げられるので「軟禁」
これがアパートの一室で、鍵を閉められて逃げることができない状況だったら「監禁」

でも、今思うと「いい経験(おいしい経験)」をしたな、って感じです。


<1998年11月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス)
 ・借入金:131万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:167,000円




<1998年12月>

「タイミング」は重要だ。
今まで全く気にならない、いやむしろ邪魔だったものが、急に「救世主」のよう
に思えてしまう。

今年の5月に「武富士」を完済して「オリックス」に借り替えた。
それから、「武富士」から何度も電話があった。

武富士:「お金に困ってませんか?実績がありますから、来店してもらえばすぐ
     にご融資できますよ」
    「とりあえずカードだけ作りませんか?お金は別に借りなくてもいいで
     すから。本当に困った時に利用してもらえばいいですよ」

などと、最初の頃は月に5度は電話がかかってきて、そのたびに、
「いいです。借金しなくても生活できますから」
と言って断ってきた。
(夜にでも電話がかかってくるので、かなり迷惑)

そして、しばらく電話はこなかった・・・。

しかし、12月。
今月はかなり厳しい。
色々とお金の工面をしても、明らかに5万円はショートする。

そのとき、電話が鳴った。

武富士:「もしもし。お世話になってます、武富士ですが、お金のほうは困って
     ませんか?」
 私 :「困ってなくはないけど・・・」
その瞬間、明らかに武富士社員の声のトーンが変わった。
武富士:「それなら、1回来社してもらえませんか?いくらご融資できるかすぐ
     にお知らせしますよ。1度契約してもらってるので、審査にお時間は
     かかりませんが。いかがでしょうか?」
 私 :「(見栄をはって)でもすぐにお金が必要なわけじゃないんですよ」
武富士:「そうですか。でも、今カードだけ作っておけばいつでもご利用できま
     すが。今日はお時間はありませんか?」
 私 :「そうですね・・・。カードを作るのにどれくらい時間はかかります?」
武富士:「30分もあれば終りますよ」

武富士に行くと本当に30分もかからず契約ができた。
限度額は「50万円」。

武富士ではお金は借りずに、駅にあるキャッシュポイント(信販系のATM)で
「20万円」をおろした。(20万円という金額に理由は特にない)

以前なら現金で20万円を持つと、「天下を獲った」ような気持ちになったのだ
が、今は全く何も感じない。
むしろ、罪悪感を感じでしまう。

このとき、ふと思った。
「今、借金の総額いくらあるんだろう?」

今借りた武富士で20万円。
アイフルで50万円。
アコムで50万円・・・。

「えっ!!借金が100万円を越してる!!」
「まじで!!」

すごく怖くなって、自分が信じられなくなった。
冷や汗がでる。

「やばいんじゃない?」
「100万円もどうやって返すの?」

先の見通しが全くたたない・・・。
財布の中にある「20万円」がとても恐ろしく思えてきた。


1998年12月、
もう後戻りできない所に自分がいることに気がついた。


<1998年12月現在>
 ・借入先:6件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス、武富士)
 ・借入金:150万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:138,000円


<1999年1月>

年末年始、バイト先のパチンコ屋は繁盛していた。
正月にも関わらず常連のおじさんたちがパチンコ台の前で一喜一憂している。

「おれもあんな大人になるのかな・・・」


正月の雰囲気も無くなりつつあった、1月10日。
パチンコ屋のバイトを終ってアパートに帰ってくると、自分の部屋のドアに1枚の
張り紙があった。

『督促状』

この言葉で文面は始まっていた。
「家賃が支払われていないので、すぐに払え。さもなければ今すぐにでていけ!!」
という内容の、賃貸会社からの督促状だった。

「まじで~!!」

確かに、家賃はまともに払っていないのは事実。
一応、家賃は「銀行引き落とし」だが、毎月1ヶ月近く遅れてから「銀行振込」で
支払っていた。
でも、こちらにも言い分はある。
「家賃は支払いが遅れているとはいえ、きっちり払ってるじゃないか!!今すぐ出て
 行けなんて、おれを殺すつもりか!!」

すぐに賃貸会社に電話をかけてみた。

おれ:「もしもし。○○の203号室に住んでいる松下と申しますけど、今日帰って
    きたら『督促状』が貼ってあったんですが」
賃貸:「少々お待ちください・・・。松下さん、今月のお家賃が引き落としされてい
    ないんですが、どうなさいました?」
おれ:「(なぜか開き直って)いや、どうもしないですよ。毎月のことじゃないです
    か、家賃の支払いが遅れるのは」
賃貸:「そう言われても、支払いはきちんとしてもらわないと困ります。では、今月
    のお家賃はいつお支払いいただけますか?」
おれ:「う~ん、バイト代が入る20日まで待ってもらえませんか?」
賃貸:「少しだけでも振り込んでいただくことは可能ですか?2万円とか?」
おれ:「本当に今、お金が無いんですよ。3,000円とかだったら大丈夫ですけど」
賃貸:「では、3,000円を振り込んでください。残りは20日までお待ちします」
おれ:「ありがとうございます。本当にすいませんでした」

でも、3,000円を払ったら無一文になっちゃう・・・。
CDでも売って、バイト代が入る20日まで生き抜こう!!
家には「米」はあるから、なんとかなる!!

しかし、次の日・・・。
大学から帰ってみると、ポストに電力会社からの封筒が入っていた。
封筒の中に、うっすら「赤いモノ」が見える。

『10月分の電気代が支払われていません。1月15日で電力の送電を停止いたします』

「まじで!!」

これが俗に言う「電力会社のレッドカード」
そういえば、前に「10月分の電気代を払ってください」という内容の黄色い封筒も届い
てた。
こっちは「イエローカード」か・・・。

「なんなんだよ、サッカーをパクりやがって、くだらね~!!」

でも、電気が無いと困る。
「米」があっても、炊くことができない。

ああああああああああああああああああ!!!

うううううううううううううううううう・・・。

やばい・・、どうしよう・・・。

困った時によくやるのが、「通帳記入」。
だれかが間違えてお金を振り込まないかな?と思い時々やる。

助かった。
父親から臨時で「3万円」が振り込まれていた。
(夜に電話をすると、お年玉ということだった。感謝。)

すぐに電気代を支払って、かなりほっとする。

そして、全く懲りずにパチンコ屋に勝負に行くのであった・・・。


<1999年1月現在>
 ・借入先:6件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス、武富士)
 ・借入金:149万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:138,000円

<1999年2月>

これで何度目だろう。
「家計簿」を書こうとしたのは・・・。

必ず新しいノートを買って書き始める。
表紙には、「家計簿」と大きく書いて、まずは現在の所持金を書いて・・・。
でも、1週間後にはゴミ箱に入っている。
理由は簡単で、家計簿というのは「1円」を大事にするためにつけるものであっ
て、毎日無計画にパチスロをやっている私にとっては、無駄なこと。

同じように、「ギャンブル収支表」も何度もつけようとした。
結果は、あまりにも無残な結果が怖くなったので止めた。

2月3日 損:30,000円 パチスロ      A店
2月3日 損:10,000円 パチンコ・パチスロ A店
2月4日 利: 5,000円 パチスロ      B店
2月6日 損:22,000円 パチンコ・パチスロ A店・B店

2月7日にはついに、1日でパチスロでいくら使ったか分からなくなった。
というのも、1日でアコムとパチンコ屋を何度も往復したため、いくら投資した
か分からなくなったのだ。(何万円も使ったため、精神が錯乱していた)
ポケットに入っているくしゃくしゃのアコムの明細書を見ると、3回引き出して
いた。(それもよく覚えていない)
合計は、10万円。
これで、アコムも利用限度額いっぱいに達した。

そのとき、気持ちの中にどこかほっとしている自分もいた。
「これで、もう借金はできない。借金が増える心配が無くなった・・・」
でも、どこか余裕を持っている自分もいた。
「まあ、またどこかの消費者金融で借りればいいでしょ」

本当は、既に自分の「信用情報機関」における信用は「0」に等しかったのに。

なんでだろう。
なんで、パチスロは「勝つまで止めれないんだろう?」

これでも、破滅するまでには色々とためしてみた。
例えば、
・1万円しか持たずにパチンコ屋に行く。それもできるだけ遠くのパチンコ屋。
 しかも、銀行のカード、消費者金融のカードなど、お金を下ろせるものは全部
 家に置いていく。
 そうすれば、1万円が無くなったら家に帰らないといけないし、帰ったら再度
 パチンコ屋に行くことは無い!!という考えだったのだが・・・。
 結果は、負けると「負けたままだと寝れない!!」「家にいてもイライラする」
 という状態になって、また近くのパチンコ屋に行きました。

・ゲームセンターのパチスロで気を紛らす。
 禁煙をする時のパイポみたいなものです。
 結果は・・・、これでパチスロを止めれれば借金はしません。

・新規で銀行の通帳を作る。そのとき、あえてカードを作らない。
 そうすれば、お金を下ろすときには銀行の窓口でしかお金を下ろせないので、
 午後3時を超えたら一切お金を下ろせなくなる。
 これは、かなり効果があると思いました。
 結果は、朝からパチスロを打つので、午後3時という足枷(あしかせ)はほとん
 ど効果がありませんでした。

完全な病気ですね。
末期の「ギャンブル中毒」です。

パチスロをやっている時は精神が錯乱しているのでお金をお金と思っていないし、
塾のバイトに行くための電車賃(200円)が無くなったこともありました。

最悪です。
しかも、来月は大学のテスト、そして、就職試験も続々とやってきます。

こんな借金まみれの俺でも就職できるのかな?

「身辺調査」とかあったら、かなりやばいな。

だって、就職希望先って「銀行系・金融系」だし・・・。


<1999年2月現在>
 ・借入先:6件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス、武富士)
 ・借入金:158万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:140,000円



<1999年3月>

大学3年が終ろうとしている。
来年は大学4年生、卒業か・・・。

「えっ!!卒業できない?」

大学3年のテストが終った時点ですごいことが判明した。
なんと卒業できる単位(※)に届かないのだ。
普通は大学3年で大体単位は取り終わるのだが、私は毎日パチスロをやり過ぎた
ために出席が全然足りない。
それに伴い単位が取れていなかった。

「まあ、大丈夫。卒業できるでしょ」

これもまた気楽に考えていた。
借金と同じ。
気がついたときには、もう遅い・・・。

借金まみれで卒業もできないだと、親になんて言えばいいのか・・・。
それよりも、おれの人生は・・・。
高校卒業までは順調だったのに、今の転落ぶりは「夢」のようだ。

いや、そんなことよりも大学を卒業しないと今やっている就職活動が全くの無駄
になってしまう。

大学の相談窓口に行って相談した。

 私 :「このままだと卒業できないんですけど」
相談員:「理由はなんですか?」
 私 :「バイトと・・・。あとは、遊びですね」
     (パチスロのやり過ぎとはさすがに言えない)
相談員:「う~ん。でも、それは自業自得ですね」
 私 :「・・・。確かに」

その後、なんとか英語の教授にお願いして、テストを受けていないがなぜか出席
が良かったのと、これまた、なぜかレポートを全て出していたという幸運(?)が
重なり、「可」をいただくことに成功。

これで4年生の授業を全て出て、全ての単位をとれば祝・卒業!!
絶対無理だ・・・。
全ての単位をとるなんて・・・。

しかも、就職試験のために何度か東京に行かなければならなくなった。
交通費・宿泊代などお金がかかる。
しかも、東京でパチスロもやってみたい!

あといくら借りれたっけ?
武富士で「30万円」まで借りられるか・・・。

※「アイフル」「アコム」「オリックス」は限度額いっぱい借りている。
 3社合計で130万円。

よし、がんばろう!!

今年は就職と卒業を手に入れる!!

こんな借金まみれでも、「消費者金融」には就職できるのかな?

 ※単位とは大学を卒業するために必要なもので、各大学でその数値は違う。
  単位は「優・良・可・不可」とあり、「不可」では単位がとれない。


<1999年3月現在>
 ・借入先:6件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス、武富士)
 ・借入金:167万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:144,000円



<1999年4月>

金返してくれよ~!

就職試験の度に東京に行って、時には東京で泊まる。
それで結果が「不合格」なら、交通費とかの金を返してくれよ!!

しかも、東京本社の企業を5つ受けたために、何度東京に行ったことか・・・。
『仙台→東京(新幹線)』で、往復2万円。
本当にお金がないと、就職もできません。
まさしく「就職試験貧乏」。

1つの企業で最終試験までいくと、その会社には5回程度行かないといけない。
もし、東京の5企業全て最終試験まで行ったら、
「5企業×5回×2万円=50万円」
実際は最初の面接で2つ落ちたり、面接が同じ日になったりして、うまいことい
きました。

それでも、東京には10回くらい行ったな~。(10回×2万円=20万円)
東京駅と受験先の企業とパチンコ屋だけ行った記憶があります。
バイトがなければ、もっとパチスロ三昧できたのですが、そんな時間はありません。
この4月は本当に忙しい。
バイト、学校、就職試験、バイト、就職試験・・・。
午後から就職面接があるので、午前の授業もリクルートスーツで受けたり。
(しかも1年生の授業なので、周りは誰も知らない)

そういえば、金融関係(銀行、証券会社)は全部ダメでした。
その原因は「私の能力」なのか、それとも「150万円を超えている借金」なの
か・・・。(こればっかりは、人事の担当に聞かないと永遠に分からないです)

4月後半になり、残っている企業は二つ。
1つは、最大手の飲料企業。
もう1つは、なぜ受けたかよく分からない小さい出版関係の企業。
あとは5月に最終の社長面接があるのみ。
ここまでくると、「どうにでもなれ!」ってな感じです。

でも、お金が無い・・・。
頼みの綱の「武富士」も遂に限度額いっぱい借りてしまった。
明細書を見ると、この1ヶ月で20万円近く借りている。

う~ん、どうしよう。
まあ、就職できなかったら「就職浪人」でもして、1年間アルバイトしようかな。
それで、借金を返して、きれいな体(借金が無いという意味)で就職だ!!

今思うと、これがベストな選択だったのかもしれない。

就職することにより、借金の増えるスピードは加速していった。
理由は簡単で、毎月のもらえるお金が減ったからだ。

現在は、仕送り:10万円
    バイト:10万円(パチンコ屋+塾講師)
    奨学金: 5万円
合計:25万円。

これが就職することにより、月給18万円になってしまう。
実質7万円の減額。
普通に考えれば無理。
っていうか、毎月の借金の支払いが15万円あって、どうやって生活するの?

ははははっははは。

あれっ? 全然無理じゃん。
普通に考えれば、生活が破綻することが分かるじゃないですか。

でも、その時は何も考えなかった。

経済学部なのに、こんな簡単なお金の計算もできないなんて。


そして5月、人生最大の選択ミスをしてしまう・・・。


<1999年4月現在>
 ・借入先:6件(DCカード、アイフル、アコム、JCB、オリックス、武富士)
 ・借入金:186万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:149,000円


<1999年5月>

ゴールデンウィークが終った頃に、就職試験の連絡がきた。
結果は2社に合格!!
1つは、最大手の飲料企業。
もう1つは、小さい出版関係の企業。

ここで、「人生最大の選択ミス」を犯す。

給料もいい最大手の飲料企業を断ったのだ。
そして、小さい出版関係の企業に入社することにしたのだ。
今思うと、なぜそんなことをしたのだろう?
具体的な理由が自分でもわからない。
おそらく「就職が決まっても、大学を卒業できない」と思いこんでいたんじゃな
いだろうか。

ちょっと落ち着いて考えてみる。
まず、(最初の何年かは)月給の面ではさほど差はない。
だが、ボーナス・住宅手当・残業手当などで、年間100万円は違うだろう。

ボーナスを1回50万円もらえれば、1社完済することは可能なのに・・・。
(今の会社のボーナスだと、たまったカードの支払いをすると終ってしまう)

「やっぱり大手に就職するべきだった・・・」

大企業に勤める友人は社宅に住んでいるので、家賃が毎月5,000円でいい。
家賃が55,000円の私と、これだけで5万円の差がある。

さらに残業手当もない。
「給料と就労時間を計算したら、時給が600円だった」
と、就職先の先輩が言っていた。
いったいどんな会社だ?
田舎のマクドナルドの時給よりも安い。

でも、就職先も決まり、あとは卒業するだけ。
親に連絡すると、就職祝いとして5万円もらった。
この5万円は全て借金の返済にあてる。

「よし!!この調子で借金を減らすぞ!!」

と思った矢先、パチンコ屋に貼られた『新台入替』の文字を見つける。

「1万円だけ・・・」

3時間後、6万円が泡と消えていた・・・。

果たして卒業するときには、いったい借金はいくらになっているのだろう・・・。


<1999年5月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士)
 ・借入金:185万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:139,000円



<1999年6月>

夜、バイトから帰ってくると留守電が1件入っていた。

「え~、一樹ですか、お父さんです。今、どこにいるんだ?おじいちゃんの具合
 がちょっとよくないんで、すぐにこっちに来なさい。お医者さんが言うには、
 ここ2・3日ということです。とりあえず、これを聞いたら一度電話するよう
 に」

父からの留守電だった。
すぐに父に電話をする。

俺:「もしもし」
父:「どこに行ってるんだ、こんな夜遅くまで」
俺:「バイトだから仕方ないだろ」
父:「とにかく、広島に戻って来い。おじいちゃん、もう意識ないんだ」
俺:「まじで?」
父:「まじだから・・・。お前、礼服はあるか?」
俺:「そんなもん無いよ」
父:「ああ、分かった。とにかく明日、朝すぐ来いよ」

でも、広島に帰る電車賃が無い。

俺:「でも、今、金が無い」
父:「明日、朝に5万円振り込むからそれですぐに帰って来い」
俺:「うん、分かった」

そして次の日、広島に帰っていった。
おじいちゃんは、その日の午後に亡くなった。

就職先が決まったことが最後の孝行だったと思う。

通夜・葬式と無事に終わり、落ち着いた頃に父親が聞いてきた。

父:「お前、貯金はしてないのか?」
俺:「貯金はないって。就職試験もあったし、結構お金がかかるんだって」
父:「就職試験でお金がいるんだったら、もっと早く言えばいいだろ」
俺:「いいよ、もう終ったから」
  (なんだ、言えばもらえたのか。借金までする必要なかったのに・・・)
父:「まあ、貯金は働いてからすればいいから、あんまり無理はするなよ」
俺:「ああ」
父:「借金だけは絶対するな!」

「もう、遅い」とは言えなかった。

俺:「借金なんかしないよ。おれ、経済学部だよ、マルクスだよ」
父:「そうか。まあ、一樹だから心配はしてないけどな」

確かに、自分も親だったら思うかもしれない。
国立大学の経済学部に通っていて、就職先も決まり、今まで不良らしいことを
一度も見せたことがない息子が、まさか借金があるなんて・・・。
それも、200万円近く・・・。

この時点で、親は借金があることは全く知らない。
よく隠してるものだ、と自分でも思う。
逆に、最後まで隠しきれたことが「アダ」になったのかも・・・。

借金が50万円くらいの段階で、偶然財布の中にあった「武富士」のカードを
親が見つければ、それで親は一生「この子は借金をする」と注意をしてくれる
だろう。

広島を出発するときに、父親から3万円をもらった。
電車の中、仙台に着いて駅前のどのパチンコ屋に行くかでソワソワしている自分
がいた。

「父さん、ぼくは借金が200万円あります」

この言葉を言えたら、人生は変わっていたのだろうか・・・。


<1999年6月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士)
 ・借入金:185万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:139,000円



<1999年7月>

大学も夏休みに入り、アルバイトを増やすことにした。
この夏休みでなんとか借金を減らさないと・・・。

バイト先に選んだのは「深夜のパン工場」。
なんといっても時給が高い。
時給が1,100円。
夜の8時から朝の6時まで、10時間の労働で、「11,000円」のバイト代は
かなり魅力的。

「よし、がんばる!!」

しかし、当然仕事は厳しかった。(工場内は暑く、汗が噴出してくる)
1日終ると体重が3キロ減っていた。

帰る途中に吉野家で牛丼を食べ、時計を見ると8時30分。
「もう少しでパチンコ屋が開くな・・・」

パチスロで1,000円を使うのに3分あれば十分。
バイトで1,000円を稼ぐためには、あの蒸し暑い工場で1時間の重労働・・・。

ちょっと考えればすぐに分かるのだが、この頃の自分はお金の感覚が完全に麻痺し
ていた。

「最初から負けることを想像して勝負する奴はいない」と、誰かが言ったように、
パチンコ屋に入る前の自分は気持ちが昂揚し、「10万円くらい大勝ちしたら何を
買おう?」などと考える。
「この財布の中の1万円がなくなったら、生活費が全くなくなる。明日から食事は
どうするの?」とは考えない。

「楽天家」と「無計画」とは同じ意味。

結局、このパン工場のバイトは5日間でギブアップしました。
あのパン工場の匂いは2度と嗅ぎたくありません。
(しばらくの間、パンは見るのも嫌でした)

当然、借金は全く減らず、いつも借金の返済手段を考えていた。
この時期はまだ必殺の「自転車返済」ができていたので、1社目の返済額3万円が
あればなんとか全社返済できた。

自転車返済:A社に3万円を返済して、すぐにまたA社から限度額いっぱい借りる。
      そして、そのお金でB社を返済し、またB社から限度額いっぱい借りる。
      それを繰り返すことで、毎月やりくりする。

この頃、精神的に「引きこもり」気味にもなっていた。
バイト、パチンコに行く以外は全く家を出ない。
家では「光栄」のゲーム(信長の野望など)ばかりやっていました。

郵便受けに入っていた「裏ビデオ」のチラシに電話したら、届いたビデオの中身が
全部「水槽で泳ぐ熱帯魚」だったり・・・。

なんか上手くいかないな・・・。

お金が欲しい!!

お金が・・・。

お金が・・・。


<1999年7月現在>
 ・借入先:5件(DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士)
 ・借入金:185万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:139,000円



<1999年8月>

大学生の必需品、携帯電話。
この出現により、さらに生活は厳しくなった。

私が大学生の時期は「ポケットベル」「PHS」そして「携帯電話」と移り変わ
っていく期間で、半年もたてば新規機種に変更しなければならなかった。
「PHS」は結局3ヶ月しか持たず、まだ通話料の高い「携帯電話」へと変化し
ていく。
携帯電話で1ヶ月「2万円」使うことは珍しくなく、食費よりも電話代が重要だ
った。
携帯電話がなければ友人との連絡もつかない。
でも、今月の支払いは3万円を超えている。

う~~~~~~ん、どうしよう?

手元にお金は無いし、次にお金が入るのは2週間後・・・。
仕方ない、もう1枚カード作るしかないかな・・・。
(でも、審査通るの?これで6社目なんだけど)

大学の学生生協に行くと、たくさんのカードの申込書があった。

「学生期間は年会費無料」
「生協内でカードを利用すると10%引き」

こんな言葉だと全く興味が引かれない自分が悲しい。
(「学生は無利子」だと嬉しいな♪)

「DCは持ってるし、JCBは解約されたし・・・、残るはコレか」

手に取ったのは「UCカード」の申込書。
家に持って帰って記入するが、問題が発生!!
「現在のあなたの借入金額は?」の問いに、何って書けばよいのかわからない。
正直に「5件:180万円」って書く?
いやいや、だめでしょう。
そんなこと書いたら、絶対に審査が通らない。

う~~~~~~ん、どうしよう?

ダメ元で「1件:30万円」って書く。

その結果は・・・、数日後家に帰るとポストに郵便の不在者連絡表が入っていた。
すぐに郵便局に行って郵便物をもらう。
その時の封筒の厚さが問題。
カードが中に入っている時は、保護のために厚紙が入っている。
そのため厚さが全然違う。
逆に「残念ながら、今回は見送らせていただきます」的な文面の時は、紙が1枚だ
けなので薄っぺら。

今回は、手に取った瞬間、「あっ、ぶ厚い!!」

めちゃめちゃ嬉しい!!!!

すぐに封筒の中身を見ると、
「キャッシング限度額:5万円、カード限度額:30万円」
の文字。

すぐに郵便局のATMに行き、2万円キャッシングする。

その足でいつも通りパチンコ屋へ。

でも、よくカードが作れたと我ながら不思議。
上手く騙せたのかな?

その真相はいまだにわからないが、確実に言えることは、「また借金が増えた」とい
うこと。

200万円の大台まであと少し・・・。


<1999年8月現在>
 ・借入先:6件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード)
 ・借入金:187万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:159,000円



<1999年9月>

パチンコ屋で3年もアルバイトをしていると、いろんな人と出会う。
喫茶店のおやじ、変なカップル、風俗嬢、ヤ○ザ、居酒屋の店長、オカマ・・・。

バイト先で問題になるのは「レディースデーで、オカマはどうする?」という点。
見た目が完全に女性で、周りの人のほとんどが女性だと思えば女性として扱うの
だが、常連のお客さんがメインの店なので、誰もがあの人は「オカマ」だと分か
っている。

そんなある日、悪い予感が当たった。

『本日はレディースデーです。女性の方はどの数字で当たっても無制限!!』
 ※「無制限」というのは、どの数字で当たっても交換せずに連続打ちができる
  ということ。

パチンコを打っていたオカマがはしゃいでいる。
「やばい!!オカマが当たった」
とりあえず、玉を入れる箱を持っていく。
「しかも、数字が『4』じゃん。男だったら1回交換なんだけど・・・、どうし
 よう?」
オカマの隣に座っていたヤ○ザはニヤニヤ笑っている。

わたし:「おめでとうございます」
オカマ:「(野太い声で)今日はレディースデーでしょ。私はどうなるの?」
わたし:「いや~、どうなんでしょうか?」
オカマ:「ちょっと、どういう意味よ!!」
隣のヤク○がニヤニヤしている。
オカマ:「いいわよ、どっちでも。あなたが思ったようにすればいいじゃない!」
わたし:「(かなり困る)・・・。じゃあ、無制限で」
オカマ:「(満点の笑顔で)ありがと♪」
となりの○クザはニヤニヤしながらタバコを吸っている。

こんな楽しい(?)思い出もありながら、私はこのパチンコ屋を辞める決意をする。
理由は大学のテストが迫り、ひとつでもテストを落とすと留年が決定するから、その
勉強時間確保のため。
それと、塾のバイトの方が楽しかったから。

結局、このパチンコ屋で3年半働いた。
大学生活のほとんどをこのパチンコ屋で過ごし、バイト代の総額は400万円近く
になっていた。
でも、1円も貯金することなく、残ったのは200万円近い借金と腰痛だけだった。

その後、半年も経たないうちに、この思い出深いパチンコ屋は倒産した。
すぐに更地(さらち)にされ、駐車場となった。

ふと思う。
「あれっ?パチンコ屋を辞めたってことは、収入が10万円近く減るよね。
 借金の返済はどうするの?」

どうするの?

考えてなかった・・・。
来月、返済どうしよう・・・。
16万円の返済どうするの?


<1999年9月現在>
 ・借入先:6件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード)
 ・借入金:190万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:159,000円

<1999年10月~12月>

日本中が「2000年問題」で混乱してる頃、私は返済方法で混乱していた。
先月で辞めたパチンコ屋のバイト代(約10万円)をもらい、10月はなんとか6件
全部返済することができた。
しかし、11月の返済手段が思いつかない。

必殺の「自転車返済」も、この頃は上手くいかなくなっていた。
例えば、「武富士」で3万円返済しても、すぐに借りられるのは2万円程度、前
なら2万5千円は借りることができたのに。
その理由は、長い期間借りているので利子がつき、元本との合計が限度額を超す
ためだった。

12月に入り、「ローソン」の深夜のバイトを始めた。
バイト代がいいのと、短期間でもよかったから。
でも、正直、パチンコ屋のバイトの方が楽だった。
夜更かしは得意だが、夜に仕事をすると話が違う。
かなり体にこたえた。
深夜のコンビニのバイトは、週刊誌とかを読んで時間を潰せばいいというイメー
ジがあったが、実際は驚くほどの仕事をやらなければならず、全然楽ではない。
しかも夜に限ってややこしい客が来る。

客:「この荷物を東京まで送りたいんだけど、宛先がよくわからないんだよね。
   名前と大体の住所を書けば届くかな?」
私:「たぶん、無理です」

客:「すいません。さっき、肉まんをここで買ったんですけど、食べたら肉まん
   じゃなくて、あんまんだったんですよね・・・、取り替えてくれますか?」
私:「分かりました。それで、その間違ったほうのあんまんはどこですか?」
客:「食べちゃいました」
私:「・・・」

客:「あの~」
私:「はい、なんですか?」
客:「先々週の週刊マガジンありますか?」
私:「無いです」

こんなことをしてると、バイトが終ってからのパチスロがとっても楽しい。
バイトが終って、朝・8時くらいにローソンを出て、コンビニで朝飯を食べながら
開店時間の9時を待つ。

こんなことで借金が減るはずもない。
1999年12月31日を「ローソン」でバイトをしながら過ごした。
そして、2000年を何事もなく迎えた。

「2000年問題でサラ金のデータが壊れて、借金が0にならないかな・・・」

正月はパチンコ屋に行かなかった。
理由は、お金を借りる消費者金融が休みだったから・・・。

情けない・・・。

親からもらった「人生最後のお年玉」もパチスロで消えた。

「人生をやり直せる機械」があったら借金してでも買いたい・・・。


<1999年12月現在>
 ・借入先:6件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード)
 ・借入金:190万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:189,000円



<2000年1月~3月>

祝・大学卒業!!

なんとか、本当にギリギリで大学を卒業することができた。
卒業日の前日、友人から「お前卒業できるらしいよ」と電話で知った時は、嬉し
いのか悲しいのか・・・、複雑な気持ちだった。
というのも、完全に卒業は無理と思い、親になんとかもう1年大学に通わせてく
れとお願いするつもりだったのである。
そして、その1年間をバイトに費やし、借金を完済する計画まで立てていた。
それが突然「卒業できる」といわれても・・・。

次の日、無事、卒業式に出席した。
結構楽しく、「卒業できて良かった」と、この時は心から思った。
その後、朝まで友人と飲んで、大学生活の話で盛り上がった。

朝、家に帰る途中にふと思う。

「大学4年間で何をしてきた?」
「浪人してたときに思い描いていた大学生活はもっと違うんじゃなかったの?」

すごく悲しくなった。
だが、人生は卒業により、次のステップへと強引に追いやられる。

ここで、一度「借金」を振り返って考えれば良かったのだ。
この段階で、親に借金があることを伝えれば人生はもっといい方向に進んだのでは
ないか!と、今は思う。
(その当時は絶対に言えなかったけど・・・)

現在の借金の総額:190万円
毎月の返済額:19万円
  初任給  :18万円(手取り)

小学生でも分かる。
どうやって返済するの?

家賃も食費も給料だけで支払わないといけないのに。
これからは親からの仕送りもなければ、奨学金もない。
むしろ、奨学金はこれから毎月1万円返済していかないといけない。

やばいよな。
やばい・・・、やばい・・・。

でも、まだ【自信】はあった。
今まで、人生で大きな失敗はしたことがない。
必ず、なにかのタイミングで借金はなくなるはずだ。
(根拠は全く無い)

実家の親に「卒業証書」を送った。
私の卒業証書は、「大学4年間を真面目に過ごした」という格好の嘘を親につける
キラーパスだった。
このキラーパスを送ると、数日後、親から卒業祝いで5万円が振り込まれた。

これでもう親に借金のことは言えなくなった。
ここで言うと、大学4年間、親に話していたことが全て嘘になるから。

「バイトもやって、サークルも結構楽しいよ」
「先月は友人と東京に遊びに行ったんだ」
「おれの家、大学に近いからみんなの溜まり場になってるんだよね」

本当は毎日パチスロやって、パチンコ屋でバイトして、朝までテレビゲーム。
徹夜の状態で朝からパチンコ屋に行って・・・、大学には全く行かない。

おれが親だったら泣くね。
こんな息子に毎月仕送りしていたと知ったら。

結果はどうであれ、大学を卒業して就職先も決まっている。
とにかく進むしかないのだ。

まさか、2年後あんな状況になるとは・・・。

ここから「人生の転落」のスピードが急加速していく。


<2000年3月現在>
 ・借入先:6件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード)
 ・借入金:190万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:189,000円



<2000年4月>

1週間がこんなにも長いと感じたことはない。
4月1日から新入社員として働き出して、あっという間に金曜日が終ったとき、
完全に死んだ。

大学4年間で身についた「ふしだらな」生活は、毎朝7時に起きることが要求さ
れる社会人にはかなりの重荷だった。
朝と夜を逆に生活していたのだから、リハビリが必要だったのかもしれない。

入った会社は、夜も夕方の6時を過ぎても誰一人帰ろうとしない。
みんなが普通に夜の11時くらいまで仕事をする。
(もちろん残業代なんて出ない)
それから飲みに行って、帰りはタクシー。

驚くほど金を使う。
財布に残っていたわずかなお金もあっというまになくなった。

親に電話をして、少し援助してもらう。
この援助には会社の付き合いという「正当な理由」があるので、電話するのも気
が楽だった。

しかし、問題は初めての給料日:4月25日に起こった。
朝、上司から給料明細をもらう。
こっそりトイレに行って見てみると、明細にはこう書かれていた。

4月分給与:115,617円

「えっ!11万円?」

初任給は18万円くらいと聞いていたので、かなり動揺する。
11万円では、借金の返済ができない。

上司に尋ねると、新入社員の4月は、締めの問題で給料が半分になるとのこと。
それはどうでもいい、11万円だと今月の返済ができない。

初任給で借金の返済で悩むなんて・・・。
普通、初任給といえば親にネクタイとかスカーフとかを買うのに・・・。

もちろんそんな余裕はない。
借金を返したところで、家賃・携帯代・生活費は全く無い状況。

とりあえず、今月は「武富士・アコム・アイフル・オリックス」を返済した。
が、「DCカード」と「UCカード」のキャッシングの返済は全く不可能だった。

「毎月、給料日にはこんなことになるのかな・・・」

それにしても、次の給料日まで1万円しかないや・・・。

でも、正社員だと学生やフリーターとは信頼も違うから審査も通りやすいでしょう、
と、変な安心感はあった。

確かに、これ以降カードを作るための審査は簡単に通るようになる・・・。


<2000年4月現在>
 ・借入先:6件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード)
 ・借入金:190万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:189,000円  ※支払いが10万円滞る。



<2000年5月>

就職して2ヶ月。
現在持っている消費者金融のカードは、全て限度額いっぱい借りていた。
唯一、可能性のあるのが「アコム」に付いている「MasterCard」。
今まではカードに「Acom」の文字がついているので、店などで出すのにどう
してもためらいがあった。
「あいつ、借金があるんだ」と店員に思われるのが嫌だったし、キャッシング
を限度額いっぱい借りているので、カードが支払いで本当に使えるか不安だった。

しかし、もはやそんなことを言える立場ではない。
昼飯代も無いし、外に営業に行くための交通費もない。
財布には、2,000円しかないのだ。

こんなんでどうやって営業するんだ?

そこで、まずやってみたのが電気屋で商品を「アコム・MasterCard」で買って
質屋で売る、という方法。
最初に買ったのは、「MDウォークマン」。
結果は、一番高い3万円くらいのものを買ったのだが、質屋では1万円でしか買
いとってもらえなかった。(一度も使ってないのに)
その後、ビデオなども買ってみたのだが、結果は一緒。
買い取り金額はよくて半額。割に合わない。

そして、気がついた。
いい商品があったのだ。

【PS2】

そう、「プレイステーション2」だ。
これはすごい。
この当時、3万円くらいで買って(もちろんカードで)、すぐに売りに行っても
2万5000円くらいで買ってもらえる。
「還元率83%」はすごい!!というよりも、助かる。

しかも、「アコム」の「MasterCard」は支払いのときリボ払いにしなくても、毎月
1万円の支払いでいいのが最高!!
どんなに使っても、支払いが毎月1万円で済むのでとても安心だった。

私は、この方法で【PS2】を買いまくった。
毎週土曜日になれば、アコムのカードで【PS2】を買って、すぐに売りに行く。
現金を手にして、パチンコ屋へと・・・。
毎週、この繰り返し。
最高、1日で3回【PS2】を買った。もちろん、3台ともすぐに売って現金化。

2年間で30台は【PS2】を買った。
でも、家に【PS2】が存在した時間はどれくらいあったか・・・。
2・3度しか家のテレビにつないだ記憶がない。

なんで、社会人になってこんなことをしてるんだ・・・。

仕事は楽しい。
会社の同僚や上司・先輩もいい人だ。

なのに、借金を抱えていることは誰にも言えない。
借金をしないと生活できない状態に完全に陥っていた。

会社に行くときのカバンには、いつも印鑑と保険証を入れていた。
お金に困ったら、いつでも新しい消費者金融のカードを作るために・・・。


<2000年5月現在>
 ・借入先:6件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード)
 ・借入金:194万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:199,000円
 ・【PS2】を買った台数:1台  合計:1台



<2000年6月>

6月。
厳しい状況に変化は無かった。
手元にあるお金は全てが借金で借りたお金。
しかも、信販系のカード(DCカードとUCカード)はまだ先月分を返済してい
ない。
そんな生活をしていると、新聞を見るたびに「消費者金融」の広告が目に入るよ
うになる。

「アコム」「武富士」「アイフル」は既に借りているし、あとは大手だと「プロ
ミス」しかないかな・・・。

消費者金融の選択方法は、名前を聞いたことがあるかないかが重要で、金利は全
く重要ではなかった。
(この頃は、金利の違いがどれくらい重要か全く分かっていない)

でも、新聞の広告でも明らかに異彩を放っていた会社があった。

【モビット】

(その当時)ここだけが「銀行系」であり、そのことを全面的に前に押し出した
広告は私の心を揺さぶった。
「ここなら貸してくれるかも」と、私もかなり期待を抱いた。

平日の昼休みに、会社の自分のパソコンで申し込む。
周りに誰もいないのを確認して、一気に入力する。
申込みの登録は本当にすぐ終わった。
(消費者金融の申込みに慣れてきたのも要因ですね。聞かれることもほとんど同
 じですし)

次の日、私の携帯に「モビット」から電話があった。電話の内容は、

1、審査が通ったこと
2、限度額が50万円までOK
3、登録した銀行の口座にお金を振り込めるが、どうする?
4、カードは1週間くらいで自宅に送る

この4点だった。
私は少し呆然としながら、「では、20万円振込んでください」と無意識に言っ
ていた。

電話を切った後、夢を見ていたかのような感じがした。
今まで、昼飯代にも困っていた男が突然50万円もの大金を手にしたのだ。
(もちろん借金です。でも、この当時は借金という感覚がほとんど無かった)

「でも、よくこんな借金まみれのおれに金を貸すな」と、自分でも思った。

確かにその日、通帳には20万円の振込みがあった。
頭の中には、週末、どこのパチンコ屋に行くかしか考えられなかった。

お金があるということは、人間をとてもわくわくさせる。
お金があるということは、人間に将来への生きる活力を与える。

飲みに行ってキャバクラをはしごしても、財布の中身はほとんど変わらない。
「20万円」というのはとても偉大だった。
(限度額が50万円だから、あと30万円引き出せるし♪)

2000年の6月はかなり快適に過ごすことができた。
1週間後、カードが家に届いて返済方法などを確認すると、なんと毎月「1万円」
でいい!!
しかも、いくら借りても返済は毎月「1万円」!!

「アコム」に続いて、「モビット」は私にとって強い味方となった。
あの金色のカードは、絶対持つことができないゴールドガードのようで、持って
いても幸せだった。

2年後、この汚くなりだした金色のカードをはさみで半分に切ることになろうと
は、この当時、夢にも思わなかった・・・。


<2000年6月現在>
 ・借入先:7件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード、
       モビット)
 ・借入金:213万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:209,000円



<2000年7月>

先月作った「モビット」のおかげで楽しく過ごせている。
仕事が早く終れば、同僚と飲みに行って帰るのは深夜。
時にはキャバクラに行って、気がつくと財布は空っぽ。
朝はギリギリまで寝てタクシー通勤。

こんな生活を2週間続けると、当然お金がなくなる。
当たり前のことだが、気がついたときには「モビット」の限度額50万円に対し
て、借入金額が45万円。
「モビット」のカードを作って、わずか1ヶ月で45万円を使ってしまった。

「いったい何に45万円も使ったんだ?」と自問自答してみる。
答えは簡単で、「豪遊」してるから。

しかも、土・日のパチスロが全く勝てない。
(パチスロで1万円使うのはあっという間なので、あえてパチンコを打って時間
 をつぶすように努力?もした)
でも、結果的に週末が来る度に10万円は余裕で使っている。

「これなら旅行に行ったほうが安上がりじゃん」

我ながら名案である。
土曜日の朝早く起きて、バッグに1日分の着替えと村上春樹の小説、CDウォー
クマンを持って鈍行の電車に乗る。
行き先はあえて決めない。

お腹がすいたら途中下車する。
小説を読むのに疲れたら途中下車する。
降りたいと思ったら途中下車する。

と計画をして家を出たのだが・・・。
結局、駅の近くのパチンコ屋が新台入替していたため「ちょっと覗くだけのつも
り」で入ったら、夕方まで打つことになった。

全く懲りていない。
でも、決してパチスロがおもしろくて打っているわけではなかった。
正直、最初の1,000円であきる。
(毎週土・日、時には仕事帰りにも打っているのだから飽きるのはあたりまえ)

人間がお腹がすくと食事をするように、時間があったらパチスロを打つようにな
っていた。
病気だ。

今になって思うことは、「モビット」の50万円で毎月の返済金額の多いところ
を完済しておけばよかったのではないか。
いわゆる「借り換え」である。
(金利の安いところから借りて、金利の高い消費者金融を完済してしまう)
たしかに、「DCカード」や「UCカード」のようにキャッシングの返済が毎月
5万円のところを完済しておけばよかったのだ。
(2社の合計返済額が毎月10万円だから、かなり楽になる)

そうすれば、毎月10万円前後の返済だからかんばれそうな気がする。
しかも、7月は少しだがボーナスもでる。

「よし!!」

だが、すでに「モビット」からは5万円しか借りることができなかった。
もっと早く気がついていればよかったのだ。
もっと「計画的」に行動すれば・・・。

本当に何もかも捨てて旅にでたくなった・・・。


<2000年6月現在>
 ・借入先:7件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード、
       モビット)
 ・借入金:237万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:209,000円



<2000年8・9月>

8月のある日。
朝、会社に来ると同僚が話し掛けてきた。

「今年の社員旅行、ハワイに決まったって」

そういえば、入社するときに社員旅行があるとは聞いていたが、まさかハワイに
行けるとは思わなかった。

私 :「まじで?それで、行くのっていつだっけ?」
同僚:「来月。2泊3日だって」
私 :「すごいじゃん。旅行のお金は誰が払うの?」
同僚:「飛行機代とホテル代は会社が払ってくれるみたい。でも、ハワイで遊ぶ
    金は自分で払わないと」

お金の無い人間にとって、海外旅行ほどつらいものはない。
何をするにもお金がかかるし、食事代もハワイは高い。
海で泳いでいたらお金がかからないとは思うが、なんとか5万円は持っていきた
い!!
お金の工面を考えるが・・・。

8月の給料は(8社の)借金の返済で全てが消えた。
「モビット」からは5万円借りて旅行代にあてようとしたのだが、いつものよう
にパチスロに消えていく。

「どうしよう・・・」

結局、ハワイには2万円しか持っていくことができなかった。
最悪・・・。
スキューバーダイビングをするのにも、ジェットスキーに乗るのにもお金がかかる。
食事をすると、20~30ドル(3,000~4,000円)は普通に支払うことになる。
VISA付きのカードもあるが、支払いが滞っているので使うことができない。
初日で、あっさり100ドルが無くなった。

夜は「具合が悪くなった」と言って、みんなが遊んでいる時にホテルで寝ることに
した。
仮病でも使わないとお金が足りなくなって、お金がないことがみんなにバレてしま
う。

わざわざハワイにまで来て、1人でホテルのテレビでNHKを見てる自分が本当に
情けない・・・。

お金の心配をしなくてもいいので、帰りの飛行機が一番幸せだった。

3日ぶりにアパートに帰ってくると、留守電が点滅している。

「・・・、お支払日にご指定の口座から引き落としができませんでした。1度、
 ご連絡をいただけませんでしょうか?電話番号は・・・」

「アパートの管理をしている○○の武田と申します。今月のお家賃の引き落としが
 確認できませんでしたので、こちらまでお電話をください。電話番号は・・・」

「・・・、今月のお支払いが確認できておりません。確認できるまで、カードのご
 利用は停止させていただきます。ご連絡をください。電話番号は・・・」

最悪だ・・・。
帰国早々、借金問題に直面するなんて・・・。

「モビット」も限度額いっぱい借りちゃったし、またカードを作らないといけない
かな・・・。


<2000年6月現在>
 ・借入先:7件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード、
       モビット)
 ・借入金:241万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:209,000円



<2000年10月>

時々行くキャバクラに、新人の女の子が入った。
今までお気に入りの子がいたことはあったが、はっきり言って「彼女にはどっぷ
りはまってしまった・・・」

これが「借金増大」の速度を速める要因となった。

その日から、週に3度は仕事帰りに会いにいった。
彼女は地元の短大生で、顔は「広末涼子」似でかなり好み・話も楽しく、彼女の
ことを考えてると仕事も楽しくでき、毎日が幸せだった。

ただ、問題がひとつある。
それはもちろん「お金」。
1度行くと、1セット(45分・5,000円)では収まらず、確実に延長をするので、
合計「10,000円」は支払っていた。
もちろん現金は無いのでカードで払うのだが、毎回行くたびにカードで払うと、
彼女も心配になり「お金大丈夫?無理しないで」と言われる。

男の見栄もあり、時には無理やりお金を工面し、「今日は現金で支払うよ」と言
ったりもした。(カードでPS2を買って、転売し現金化)

だが、行く回数が今月15回を超えたとき、カードのローン限度枠がいっぱいに
近づき、「やばい?」と自分でも気がついた。
店に行って支払いの時に困るといけないので、店に行く前に電話でローン会社に
電話をして「ローンはあといくら使えます?」と確認してから店に行く。

「そんなにギリギリの状況でキャバクラに行って楽しい?」

だが、その時は自分の借金状況が【危険】だとは思わなかった。

10月某日、ついに【命綱】の「UCカードのローン枠」がいっぱいになり、彼女
に会いにキャバクラに行くことができなくなった。
彼女からは毎日電話が来て、「最近仕事が忙しいから行けない」と嘘をついた。
それがしばらく続いて、遂に彼女から電話が来なくなった・・・。

最後に残ったのは「ローン枠を使いきったUCカード」だけ。

そして、ふと思う。

「支払いを全部一括にしてるってことは、来月の支払いはいくらになるんだ?
 見栄をはらずに【リボ払い】にしておけばよかった・・・」

※アコムの「masterカード」があるのだが、彼女の前ではアコムのカードは絶対
に使えない。
借金があることは【最強のマイナス要因】だから・・・。

2ヶ月後、「21万円(キャッシングを含め)」の支払いがUCカードから届い
た時、完全に途方に暮れた・・・。


<2000年10月現在>
 ・借入先:7件
      (DCカード、アイフル、アコム、オリックス、武富士、UCカード、
       モビット)
 ・借入金:256万円(ローン含む)
 ・毎月の支払い:209,000円